9月の掲示板

9月の「お寺の掲示板」です。

「宗教」と「政治」の関係が問題となっています。そんな時世に響く、五木寛之さんの言葉です。

経済は「アクセル」(エンジン)

政治は「ハンドル」

宗教は「ブレーキ」

欲望が加速するからこそ、

宗教というブレーキを持っていなければならない

五木寛之さん(八女出身)は浄土真宗の思想に深く影響を受けた作家。著書で、「経済」「政治」「宗教」の役割について、こんなふうに言われています。

(以下引用)

世の中にとって宗教というのは具体的に役に立つものではあるまい、と思っています。宗教とは、世の中のプラスになるものではなく、一見、マイナスの働きをするものではないのか。

経済というものは社会のエンジンでありアクセルである。つまり加速する力です。それに対して、政治はハンドルだと思うのです。ステアリングをきってカーブを曲がり、方向を決めていくのが政治です。それに対して宗教はどんな力か。ぼくは、宗教は一種のブレーキだと思ってきました。

ブレーキはスピードを止めるものです。どんどん前年比で加速していこうとする社会に対して、減速させようとする。ですから、社会において宗教はマイナスの働きをするのです。しかしアクセルを踏みっぱなしの経済は、ブレーキのついていない車は、加速をつづけていれば、どこかでひっくり返るに決まっています。ぼくらはみんな、ブレーキなしの車には怖くて乗れません。もし人間の欲望というものをほったらかしにしておいたら、物欲も金銭欲も無制限に加速していく。その挙げ句には、破滅が待っているだけです。その限りない欲望に、ここまでしてはまずいと思わせるものは、宗教の力だと思います。ぼくらは宗教というブレーキをもっていなければいけない。

(以上、五木寛之『不安の力』より)

 悩んだり迷ったりするのは、思うようにならなかったり、先のことを心配しているからでしょう。要は、エンジンの調子が悪かったり、ハンドル操作に自信がなかったりすると、私たちは不安に襲われます。

仏教という宗教は、そんな不安につけ入る教えではなく、むしろ反作用により、不安の意味を教えます。「不安に立つ」ことを大事にするのです。

大きくても小さくても、どんなエンジンでも自分だけのオリジナルエンジン。アクセルの踏み方は自由自在。

ハンドル操作が下手でも大丈夫。上手だったら逆に要注意かもしれません。

大事なことは、いつもブレーキを意識しながら、少しずつ、自分のペースで、運転してみる。

怖かったら止まればいい。休めばいい。

これでいいのです。